日本はなぜ植民地にならなかったのか? その3 – FXブログ|FX塾STARS

日本はなぜ植民地にならなかったのか? その3

時代は幕末。

日本が大きく変わろうとしておりました。

ペリーの黒船来航から
慌ただしく時は動き、
この辺は歴史の教科書で習ったであろうから割愛して、

政権を武士政治の幕府から
朝廷へと返上するようにと
尊王討幕運動が起こっておりました。

坂本龍馬とかるろうに剣心とか、
新撰組とか吉田松陰先生とかが
好きな人にはたまらない時代がこの幕末です。

今回は教科書ではあまり語られていない
歴史の裏側をお話していきたいと思います。

約250年続いた
徳川家康を初代将軍とする
徳川江戸幕府。

約250年の間に将軍は15代。
徳川家康を知らない人はいないと思うが、

参勤交代の3代家光、
生類憐みの令で有名な5代綱吉、
(本当はこの人の功績は結構大きいのだが・・・)
暴れん坊将軍8代吉宗(松平健。)、
そして最後の15代将軍慶喜。

それぞれの将軍の功績について
色々と触れていきたいのですが、
今回は割愛していきたいと思います。

長年、徳川の政治になってから
天下が泰平していた歴史を見ても
徳川家康の功績というものは非常に大きいそうです。

むしろこのことは、
日本よりもアメリカなど海外から
非常に高い評価を受けているのは
意外な事実です。

「徳川の世にノーベル賞があったのならば、
間違いなく徳川家康が授与されているだろう。」

ある高名な歴史学者さんのお話です。

武士というとなんとなく
戦争ばっかりやっているイメージを
もっている方もいらっしゃるかもしれませんが、
歴史の書物を読み解くと
現在の企業の社長さんのように
色々と政治などで人々に貢献しようと
かなりの努力をしていたことがわかります。

では徳川家のお話に戻ります。

徳川家の代々の将軍が祀られている
徳川の菩提寺。

この菩提寺に唯一祀られていない将軍がいるのを
皆さんはご存知でしょうか?

今回の話の主役となるのはこの方です。

徳川最後の将軍、15代慶喜。
武家政治を終わらせて天皇制へと
政治を移行させた明治維新の
重要人物です。

その慶喜公が徳川の菩提寺には
祀られていないのには、
やはり徳川家やそれに近い家系からの
相当な反発があったに違いありません。

この徳川慶喜という人物の評価は
二分されるものとなっております。

非常に類まれな名君と称する方もいれば、
敵前逃亡した卑怯者と断ずる人さえいます。

ここで少し歴史の話に戻します。
かの有名な大政奉還で
政権が朝廷に移行することになった後も
まだ天下は泰平にはなっていなかった。

そして新政府軍と旧幕府がついに衝突し、
戊辰戦争と起こります。
歴史があまり好きではない方は
戦争の名前とか難しいことは飛ばしちゃってください。
名称や年号を覚えること自体にはあまり意味はないかと・・・

この戊辰戦争が徳川慶喜の評価を
二分させることになっているともいわれています。

薩摩・長州の新政府軍と、
徳川の旧幕府軍の衝突。
教科書的には、

「新政府軍の圧勝!
この戦いを機に徳川は終焉を迎えていく・・・」

とあったりしますが、
まぁそんな簡単なもんじゃあございやせん。

実はこの時の戦力としては、

「どう考えても兵力的に旧幕府軍の方が強かった。」
というのは完全なる事実のようで、

兵の数も圧倒的、
それだけでなく兵器の性能も圧倒的だったことは
あまり知られていない。

「戦えば徳川の圧勝は間違いなし!」

けれども歴史が示すように
そのようにはなりませんでした。

なんと、軍事的な勝利がほぼ間違いのなかった状況で
徳川慶喜は重臣たちとともに江戸に退却してしまったのです。
この戦いをキッカケに時代は大きく動いていきます。

「敵前逃亡!」

「武家政治を終焉させた裏切り者!」

このように思い、
徳川家やそれに近い家柄の方々からの
反発は相当なものがあったであろうことは
想像に難くない。

徳川の将軍の中で唯一
徳川家の菩提寺に祀られていない最後の将軍。

徳川慶喜はなぜ勝てる戦を
放棄したのでしょうか?
なぜ政権を朝廷に返上することを
選んだのでしょうか?

ただ唯一わかることは、
あの時に新政府軍と旧幕府軍が衝突していれば
ほぼ間違いなく

『日本は欧米諸国の植民地となっていた』
だろうといわれています。

新政府軍の裏にはイギリス!!!
旧幕府の裏にはフランス!!!

それぞれの国が武器や資金を
援助していていた事は知っている方も
いらっしゃるかもしれません。

『死の商人』
という言葉があるように、
戦争を生業として武器を提供することが
大きなお金になります。

戦争が起こりそうな国が
一番のビッグビジネスになる。
そして、国に裏から忍び寄り内乱を起こさせ、
その混乱に乗じて植民地化していくというのが
当時の欧米諸国の常套手段でした。

「ジパングはマネーになりそうだ。
まさに黄金の国!!」

などと思っていたかはわかりませんが、
ビジネスで金になると思っていたことは
間違いがありません。

しかし日本でそこまで大規模な戦争が
起きなかったのは歴史が示す通りです。
それを回避しただけでも
徳川慶喜公の功績というのは
非常に大きいと思います。

戦争が起こると国は疲弊し、
敗戦国は諸外国からの援助がなければ
政治・経済ともにまったく成立しなくなることは
世界大戦をみてもわかると思います。

次回以降は、
なぜ慶喜公は勝てる戦を放棄したのか、
なぜ政権を朝廷に返上したのか、
その知られざる舞台裏について
お書きしていきたいと思います。

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