日本はなぜ植民地にならなかったのか? その4 – FX塾STARSは初心者の方でも安心してセミナーにご参加いただけるFXスクールです

日本はなぜ植民地にならなかったのか? その4

ここで時代を少しさかのぼり、
日本の歴史のキーパーソンの一人に
スポットライトを当てていきたいと思います。

日本はなぜ植民地にならなかったのか? その3
日本はなぜ植民地にならなかったのか? その2
日本はなぜ植民地にならなかったのか? その1

時は5代将軍綱吉の頃~

日本全国を傍若無人に
歩き回っていた一人の老人とその付き人。

好々爺を演じながら全国を旅して歩き、
悪者がいたらボッコボコにしてこらしめる。

「助さん角さん、やっておしまいなさい!」

暴力で物事を解決しようとするのはよくない。
よくないが、それよりももっと良くないことがある。

「この紋所が目に入らぬか!」

権威を笠に着て物事を納めようとは・・・
まぁわるいことには使っていないんで良しとします。

そう、徳川慶喜公ともう一人のキーパーソンとは
水戸黄門こと『水戸光圀』であります。

意外にも意外、
この光圀公には日本人が知らない顔があったのです。

『偉大なる功績を残す歴史家』

テレビ時代劇の印象が強く、
こういった側面が知られることはありません。

ちなみ、全国を行脚して
わるものをこらしめるというのは
全くのフィクション(作り話)というのは
知る人ぞ知るお話!(笑)

自分は初めてこの話を知った時はショックでしたが、
よくよく考えてみればわかりそうな話でした。

水戸にいたというのは本当らしい。

「恐れ多くも先の副将軍、
水戸光圀公にあらせられるぞ!!!」

副将軍などという役職はない。
また、当時は関所などがあることからも
わかるように、
色々な藩が土地をおさめているので
水戸藩の藩主とかご隠居が
他の国に対して干渉することなど
出来るわけがない。

また、水戸藩は『御三家』のひとつではありますが、
やはり他の藩に対して干渉出来るような制度は
もちろんありません。

じゃあ一体この爺さんはなんなの?
と思ってしまいそうですが、

『日本で初めてラーメンを食べた人』
としても有名ですね!

・・・・・・・・。

もちろん他にも功績はあって、
そっちの方が重要です!

皆さんは生類憐みの令というのは
ご存知でしょうか?
5代将軍綱吉公がしいた法律で、

まぁ簡単にいうと

「生き物を殺生してはならぬ」
ということで特に犬を可愛がり、
犬公方と呼ばれたこともあるそうな
ないそうな。

害虫すらも殺生してはならないという話もありますが、
これについては本当かどうかはわかりません・・・。
一体夏はどうすんだって考えちゃいます。
(実際には、将軍綱吉が悪政ばかりをしいていた
というのはほとんどが脚色されたデタラメらしい。)

まぁ本当はこの方も日本の歴史に
良い影響を与えている人物なのですが、
やはり歴史認識というのは
間違った方向に塗り替えられるのが常のようです。

この生類憐み令をしいた綱吉公に反発し、
かなりの美食家であった光圀は
令などお構いなしに
焼肉祭りなどを頻繁に開催!

しかも犬の毛皮を綱吉将軍に送り付けるという暴挙!!!

天下の将軍様に対してなんたる・・・
この水戸光圀、恐れるということ知りません・・・。

これはもう打ち首にされそうなぐらいの暴挙!!

将軍様に逆らえば、
実の弟といえど許されない・・・

これは3代将軍家光のお話ですが、
実の弟駿河大納言・忠長に対しても
容赦なく切腹を申し渡しております・・・。

また当時の水戸藩といえば、
かなり税もきつく、
領民からの不満もあったそうです。

「全然名君じゃねーじゃん!!」

とここまでだとなってしまいそうです。
しかし、光圀公には領民から
重い税金を取り立ててでも、
将軍様に逆らってでもやらなければならない
使命があったのです・・・・・。

次回は水戸光圀公の功績について書いていきます。

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