今日もここへ来てくれた
あなたに感謝します
asahiです。
ちょっと思想的な話になります。
先日、私誕生日を迎えましてお祝いをして頂きました。
メッセージを送ってくれた方々にも感謝です。
なにがめでたいのか?
をいつもより考えるきっかけとなり
「おめでどう」と言われ「ありがとう」と返す。
何か、目標を達成した時、結婚する時に使う言葉と同じですが
誕生が「おめでとう」で「ありがとう」なのか。
誕生させてくれた、親に感謝するのであれば納得です。
誕生日は、親やお世話になっている周りの人に感謝の気持ちを込めて
プレゼントやメッセージを贈る。
実際に、そのような習慣の国もあるみたいです。
しかし、日本も多くの国も誕生日=お祝いしてもらえる習慣であり
お祝いして下さった方々への感謝の分、その意味を明確にしないと
空返事になるようで、それは良くないなと。
自分なりに考え、感じたことは
「よくぞここまで生きてきた」と
生まれて○周年、死なずにここまでこれた事へお祝いされ、感謝すること。
会社や、お店なんかの誕生祭のような、そんな感じ。
という事は、「ありがとう」と返す時
なにか目標に狙って必死こいて生きてないと、その感情に違和感がある。
テストで100点を取りたい→達成したらおめでとう
甲子園に出たい→出場が決まったらおめでとう
子どもが欲しい→授かったらおめでとう
本人が、なんとなく考えていたり、望んだつもりはなかったりすると
「おめでとう」と言われたら
「ありがとう」と返すけど違和感あるでしょう。
ということは
誕生日を迎えることは、自分が望めば望むほど
「ありがとう」と言う時の感情はこもったものになる。
なんとなく、80歳くらまでは生きるんじゃないかな。とか
なんとなく時間を過ごし、なんとなく生きて
「○○歳なんて嫌だな」「○○歳になりたくない」なんて感覚では
「おめでとう」と祝ってくださる方々に対して失礼になってくる。
そう考えると、次の歳を狙って、必死こいて生きなければならない。
しかし、「30歳になりたい」だけでは
特に必死にならなくても、ほぼ確実にその歳を迎えるだろう。
それが良くない。成長を止め、挑戦することを無くならせていく。
惰性で生きないよう、目標を掲げ、狙って必死こいて生きる。
そして、誕生日を迎える度に「ありがとう」の感情はどんどんこもったものにしていきたい。
誕生日をお祝いする、とは当たり前のことで違和感なく習慣、風習となっています。
なぜ?をなげかけ、その意味を納得することで行動に違和感がなくなり
より意味のある行動になり、習慣はさらに有意義になる。
新しいなにかを習慣化させる時、「みんながやってる」から「みんなが言うから」やるのでは
納得できてないので、習慣化は難しい。
「損切り下手を克服する」セミナーを企画していますが
損切り習慣化に、この感覚が役立てば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。